世界遺産|クタイシ

・ジョージア/Georgia

今日は、朝8時のバスに乗るつもりでいましたが、前日ホテルで知り合ったトルコ人男性から頂いたビールを飲みながらみんなで遅くまで話していたら、必然的に寝るのが遅くなり、結果朝8時のバスに乗るなんて到底無理なコンディションになっていました(笑)。

8時の次は11時発なので、それに間に合うようにホテルを出ました。バス停までは歩いて20分ほど。
下り坂なので行きは楽です。

さて、バス停に着いてゲラティ行きのバスに乗ります。
予想に反して定刻通りの11時に出発したバス。バスと言っても16席ほどしかないようなバン。

満席で、立っている人もいました。

バスで30分もすれば、道端に牛が歩いていたり休憩していたりします。
道路を走る車は牛を避けながらスピードを落としてゆっくり走ります。

そうこうしているとたどり着いたのが最初の目的地、ゲティ修道院。

ゲラティ修道院

1106年にグルジア王国の王、ダヴィド4世によって建てられたこの修道院。

2022年の今、もはや観光地あるあるだと思いますが、絶賛改修工事中でした。

1994年には世界遺産にも登録されたこのゲラティ修道院。
後でご紹介するバグラティ大聖堂とともに世界遺産に登録されましたが、残念ながらバグラティ大聖堂だけは世界遺産リストから除外されました。その理由は後述するとして、ゲラティ修道院の中に入ってみます。

ここに入るには女性はスカーフを身につけなければなりません。持参を忘れても無料で借りられるようです。

修道院内も足場が組まれていました。

次はゲラティ修道院から歩いてモツァメタ修道院へ向かいます。

修道院を出てすぐに馬が数頭食事をしていました。

こんな景色を見渡しながらの散歩は、心が躍ります。

牛が至る所にいて、なんとも平和な雰囲気。

この線路の向こうからやってきたのは、電車ではなく牛でした。

牛だけではなく、豚の親子にも遭遇。私たちに恐れるわけでも興味を持つわけでもなく、日本で人とすれ違う感じで干渉する事なくすれ違います。

そして、時が止まった丁字路。

暑さと疲れがピークになったところで、お昼を食べる事にしました。

メニューはなくそしてクレジットカードは使えなかったので、現金40ラリしかないことを伝えると「わかったわ。悪いようにはしないからとりあえず中に入って座りなさい。」とでも言うように中にスタッフの女性に案内されます。

客はゼロで貸切。
40リラって、結構な量になるかもしれない、、、と思ったけど時すでに遅し。

大量ポテトに、サラダに街でよく見かけるパン。

そしてメインのポーク。
シンプルな塩胡椒の味付けで美味しい。
パンは丸々残しましたが、それ以外は美味しくいただきました。

残り30分かけて、モツァメタへ向かいます。

モツァメタ修道院

ここではこの日、数組の結婚式行われていたようで、ちょうど私たちが訪れた時にも1組の結婚式をお祝いしていました。

中に入って右手にある階段の横の小さな通路。
ここを屈んで3回通れば幸せになれると聞きました。確かに、まぁまぁ恰幅の良いおじさんが必死に通っていました。
(そういえば奈良の大仏にもこういうのありましたよね。大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴が掘られた柱には、行列ができていたものです。)

ここの修道院自体素敵なんですが、何と言ってもここから見る景色は自然を味わえる贅沢な場所。

1枚の写真には到底収めることのできない壮大な緑。

十分、堪能した後は、また30分かけてお昼を食べたレストランまで戻ります。

そして、そこでバスに乗りクタイシ市内まで帰ります。

ちょうどレストランでトイレを借りようと再度お邪魔しました。
するとお昼の時にもいた7歳と4歳くらいの兄妹たちがいて、梨の炭酸ジュースをプレゼントしてくれました。

7歳の男の子に権限があるのか心配でしたが、スタッフも歓迎のようだったのでありがたくいただきます。
暑い中歩いた後の梨サイダー、最高じゃないですかっ!
というか、今までこの梨サイダーはバルカンの国々でもよく見たんですが、あまりそそられず飲んだことがなかったんです。でも彼らのおかげでこの美味しさを知ることができ、その後
毎日のように梨サイダーを浴びることになりました(笑)。

バスは予定より30分ほど遅かったですが、ちゃんと来てくれたことに感謝。
彼らともお別れして市内に無事到着しました。

別日に、滞在していたホテルから歩いて10分もしないところにあるバグラティ大聖堂へ行きました。

1994年に世界遺産に登録されましたが、色々再建をしてしまったため、登録は外れました。

建物も新しくなりましたが、実は茶色の看板の後ろには、こんなものが付け加わりました。

エレベーターです。近くで見るとまぁまぁの存在感(笑)。

でも世界遺産じゃなくなったとしても、地元の人たちから愛されていたらそれで十分だと個人的に思います。

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