今日はいよいよマチュ・ピチュを訪れる日。
昨日買ったチケットは12:00入りですが、12時以降に入れば問題ないということなので、まずはお昼を食べてから12時くらいのバスでマチュピチュへ向かうことにしました。
が、いざバス停に着くと、次に来るバスは13時という看板が出ていました。
列には40人くらい並んでいます。
そりゃ天下のマチュピチュさまですもの。混んでますよね。。。
ということで1時間ほど待ちます。
と思ったのも束の間、20分ほど経つと順番にバスに案内され、12時30分にはマチュ・ピチュに出発しました。
マチュ・ピチュまではクネクネの山道を約30分。
この景色もとても素敵なのです。
バスはあっという間に到着。
入り口には、たくさんの人がいました。
到着した人、帰りのバスを待つ人、入場ゲートに並ぶ人、休憩所でビールを飲んで楽しんでいる人、たくさんの人で賑わっていました。
私たちも入場ゲートに並びます。
日陰はひんやりしていますが、日差しはかなり強く暑いです。
思ったより早くゲートをくぐることができました。
このまま奥に進んでいきます。
さて、世界的に有名なこのマチュ・ピチュですが、一体何のために作られたものなのかは未だに明確ではありません。
未だに謎の多い理由として、インカ帝国を築いた原住民族ケチュアの人たちが文字を持っていなかったからと言われています。
「文字」というのは歴史を辿るためにも、とても重要なものなんだと気付かされます。
インカ帝国時代の1440年頃に作られ出し、その後1533年にスペインの征服者たちによりインカ帝国が滅亡してしまうまでの約80年ほどしかここには人は住んでいなかったそうです。
そんな短い期間で、最大750名ほどしか住んでいなかったと言われるマチュ・ピチュ。
当時のインカ帝国の首都はクスコにあったため、このマチュ・ピチュとの役割分担はあったのか、なども解明の必要があるところ。
頭の良い研究者たちが日々、その謎を解き明かそうとしても未だにわからないことが多いので、私みたいな素人が考えても到底何もわかりませんが(笑)、ここ南米でケチュアの人たちと話したり関わったりすることで、当時もきっと素朴て控えめな人たちが暮らしていたのかなぁと色んな想像が働きます。
さて、ようやく辿り着きました。テレビやネットでも見てきたこの景色。
山の下からは一切その姿を見ることができなかったマチュ・ピチュ。この隠れたところにひっそり佇む様子も、神秘的で不思議な気分にさせられます。
インカ帝国自体は滅亡に追い込まれてしまいましたが、マチュ・ピチュはこんな隠れたところに造られていたから、征服者たちにも見つかることなく今日もその姿を見ることができます。
マチュ・ピチュは多くの観光客が訪れるため、石畳の坂などが崩れてしまっているのが問題だそう。
今でも1日の入場人数の制限はありますが、いつ修復作業などで入れなくなるかわかりません。
訪問をお考えの方は、急いだ方がいいかも知れません。